■AC・KITAについて

私達AC・KITAは陸上競技を通じて本当の意味でのバリアフリーを目指します!

 

をモットーに、健常者と障がい者が自己記録更新から世界の表彰台までを
目標に共に頑張ってるクラブチームです。

 


■沿革

1990年(平成2年5月)

・ 現在のAC-KITAの発祥となる[北区陸上競技協会]北区AC・若手チームとして発足。

当初活動人数男子5人。

1991年(平成3年4月)

・ 活動人数12人に増加、短距離・リレーをメインに試合数を増加して東京を中心に活発に活動。
・ [新体連スポーツ祭典・於:国立]
4x100mR・42″2・大会記録樹立(当時)等クラブチームとして名前を売り始める。

1992年(平成4年2月)

・ 北区陸上競技協会から脱退し[アスレチッククラブKITA]を設立。
同年3月東京陸上競技協会に15人にて登記・登録。
東日本実業団連盟にも6人にて登記・登録。
又、この年から本格的にメンバーの勧誘、チームの拡大に力を注ぎ始める。

1993年(平成5年4月)

・ 東日本実業団対抗にて4x100mR・42″57・初優勝[電気時計チーム新記録樹立]。
(同年11月)
・ 浜松中日リレーカーニバルにて4x400mR・3’18″43・5位入賞[チーム新記録樹立]。

1995年(平成7年9月)

・ 全日本実業団対抗にて4x400mR・3’23″40・7位入賞。
※次年度日本選手権リレーの参加標準クリア。

1996年(平成8年5月)

・ 東日本実業団対抗にて4x400mR・3’18″97・優勝。
・ 日本選手権リレー4x400mR初出場・3’17″18[チーム新記録樹立]。

1997年(平成9年3月)

・ チーム名を[アスレチックKITA]と変更する。この年から20名を越え短距離から長距離・フィールド競技全般まで、活動が非常に活発になる。

2000年(平成12年4月)

・ 現在のチーム名[AC・KITA]となる。
・ 女子部員・須藤 朱理・走り高跳びにて3年連続日本選手権出場、東京選手権優勝、全日本実業団8位入賞。
(同年7月)
・ 障がい者選手入部(矢野 繁樹・金子順治 2名入部)。
・ 健常者と障がい者の合同チームを目指して新たな活動開始。
(同年10月)
・ [新体連スポーツ祭典・於:国立]
シドニーパラリンピックの調整試合として視覚障がい者4x100mRに出場(高田・斉藤・星野・矢野)、また、斉藤晃司は100mに出場し記念すべき障がい者選手の一般大会出場となった。
・ 健常者と障がい者の合同チームを目指して新たな活動開始。

2001年(平成13年4月)

・ 兵庫県よりB1クラス(全盲)100m選手の入部など、登録人数過去最高の28名で活動開始。

2002年(平成14年10月)

・ 新日鐵君津の安田享平氏に長距離コーチ依頼、短距離と長距離、そして障がい者にまでのすべての陸上競技種目の選手強化を開始する。

2003年(平成15年4月)

・ パルシステム:生活協同組合東京マイコープ様がチームのスポンサーとなり、選手が社名を入れたユニフォームを着用し、大会費や渡航費の一部を負担して頂く事となる。

2007年(平成19年2月)

・ 2007年4月からの新たなチーム運営化を目指し、事務及びHP更新担当の黒崎大氏が着任、大体的な陸上競技アスリートクラブチームとして活動を始める。

2017年(平成29年4月)

・ 2017年4月から代表に土田政志氏が就任、新体制としてのチーム活動を開始する。
現在に至る。